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岐阜地方裁判所 昭和62年(ワ)119号 判決

原告

金英秀

原告兼右法定代理人親権者父

金誠虎

同母

崔文子

右原告三名訴訟代理人弁護士

加藤良夫

右原告三名訴訟復代理人弁護士

多田元

被告

右代表者法務大臣

田原隆

右被告指定代理人

大圖玲子

外八名

主文

一  被告は、原告金英秀に対し金七九二八万七五一〇円、原告金誠虎及び原告崔文子に対し各金七〇〇万円並びにこれらに対する昭和五七年六月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告金英秀のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  本判決は、主文第一項について、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告ら

1  原告金英秀

(一) 被告は、原告金英秀に対し、金八九五七万円及びこれに対する昭和五七年六月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 仮執行の宣言。

2  原告金誠虎及び原告崔文子

(一) 主文第一項の右原告両名関係部分及び同第三項と同旨。

(二) 仮執行の宣言。

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告金英秀(以下「原告英秀」という。)は、昭和五二年八月二四日、原告金誠虎、同崔文子(以下それぞれ「原告誠虎」、「原告崔」という。)の子として出生したものであり、被告は、岐阜市日野三九六七の五七所在の国立療養所岐阜病院(以下「岐阜病院」という。)の開設者である。

2  原告英秀に対する診療経過

(一) 原告英秀は、生後一か月検診で心雑音が指摘され、以後四歳まで、半年に一回の割合で国立療養所長良病院にて検診を受けていたが、昭和五六年一二月に岐阜病院で診察を受け、昭和五七年四月に同病院に約一〇日間入院して心臓カテーテル検査を受け、その結果によって心室中隔欠損症(VSD)の診断が確定した。

(二) 原告英秀は、昭和五七年六月八日、岐阜病院に心室中隔欠損症の手術を受けるために入院し、その後、両親は、岐阜病院勤務の医師住友伸一(以下「住友医師」という。)から、心臓の模型を示されるなどして、手術の説明を受けた。

(三) 原告英秀に対する手術は、同年六月一五日に行われ(以下この手術を「本件手術」という。)、午前八時四五分頃手術室に入り、午後一時五〇分ころ手術室から集中治療室(ICU)へ移された。そして、同日午後二時二〇分ころ、執刀した医師伊東政敏(以下「伊東医師」という。)から原告崔に対し、手術が終わった旨の説明がされた。

(四) しかしながら、原告英秀は、手術後約二週間意識が回復せず、意識が回復した後も歩行及び会話が不能であった。

その後、原告英秀は、昭和五七年一二月二八日、岐阜県から身体障害者手帳の交付を受け、昭和五八年一二月二二日、岐阜病院を退院し、昭和五九年五月から木沢病院のリハビリセンターへ毎日通院することになったが、現在も歩行不能、会話不能の後遺症が続いている。

3  被告の責任

(一) 診療上の過失

(1) 心室中隔欠損症は、心臓の左心室と右心室の壁(心室中隔)に穴(欠損孔)が空いている心奇形の一種であり、その治療法として、欠損孔を閉じる手術(VSD閉鎖術)が行われる。この手術は、心臓外科手術の中では最も基本的なものとされている。

原告英秀の場合、穴はさほど大きくはなく、日常生活上もとりたてて支障はなかったが、就学前に根治手術を受けておくことを医師から勧められ、本件手術を受けることとなった。

(2) ところで、原告英秀の前記のような後遺症は、手術中に生じた著しい血圧低下、心停止、体外循環中の脳血流障害により発症した低酸素性脳症(虚血性脳障害)である。

そこで、本件においては、本件心室中隔欠損症(VSD)の閉鎖術において発生した右の著しい血圧低下、心停止、体外循環中の脳血流障害の原因が担当医らの不適切な医療行為によるものか否か、また、右血圧低下、心停止に対する適切な処置がなされたか否かが検討されなければならない。

(3) 心臓外科手術を行うに際しては、手術操作のために心臓に直接触ったり、押さえたりすることによって心臓の搏動が悪化して血圧が低下することがあり、また、冠動脈を押さえたり、心室を強く触ったりすると、心停止に至ることもあるので、医師としては、稚拙、粗暴な手術操作により心拍の悪化を惹き起こさないようにし、手術操作により心拍が悪化すれば、直ちに心臓から一時手を離すなどして心拍を正常に戻すことが必要である。

また、麻酔剤として使用されるフローセン自体にも心筋抑制作用があるので、その使用の量を適切にすべきことはもちろん、手術中に心拍不良、血圧低下があれば直ちにその使用を中断し、あるいは必要に応じて昇圧剤を投与するなど、心拍、血圧の動向を厳重に観察して、麻酔下の全身管理を適切に行う必要がある。

さらに、心臓手術では、心臓を一時停止させる必要がある間は、人工心肺装置を使って体外循環が行われるが、その体外循環を停止するに際しては、心臓は、一旦搏動を再開しても、心筋の機能の回復が不十分であれば、停止してしまうこともあるので、心臓が確実に安定して自立して動くようになるまでの相当な時間は、人工心肺による補助的な部分循環を施し、冠動脈を通じて心筋に新鮮な血液を送り、心筋の末梢まで酸素を補給することにより心臓の機能を十分に回復させることが必要である。

このように心臓手術においては、手術の全過程を通じて、心拍不良による著しい血圧低下や心停止を招来しないように細心の注意を払うべき安全配慮義務があるのに、本件手術を担当した医師らは、これを怠った過失がある。

(二) 責任の根拠

(1) 債務不履行責任(不完全履行)

被告は、昭和五七年六月八日、原告英秀が入院した時点で、原告英秀を代理する原告誠虎及び原告崔との間で、原告英秀の心室中隔の欠損孔を閉鎖すること及びそのための適切な診療行為を給付することを内容とする診療契約を締結したが、被告の履行補助者たる担当医師らは、前述した不完全履行をしたため、原告英秀は重篤な後遺症が残った。

よって、被告は、債務不履行責任を負い、原告らに対し後述する損害を賠償しなければならない。

(2) 不法行為責任

被告の被用者たる担当医師らは、本件手術を行うにあたり、前述したとおり診療上の過失をおかし、そのため原告英秀は重篤な後遺症が残った。

よって、被告は、不法行為責任(使用者責任)を負い、後述する損害を賠償しなければならない。

4  損害

(一) 原告英秀の損害

(1) 逸失利益 三三一六万二〇〇〇円

原告英秀は、本件事故の後遺症により、労働能力のすべてを喪失した。本件事故に遭遇しなければ、一八歳から六七歳に至るまで稼働することが見込まれた。そこで、昭和六一年七月発行の賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計全労働者の一八歳の欄をもとに、ホフマン式計算法により中間利息を控除して、英秀の九歳時における逸失利益の現価を算出すると、三三一六万二〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨)となる。

26.852−7.278=19.574

(130,100×12+133,000)×19.574

=33,162,270

(2) 介護費用 五一四〇万八〇〇〇円

原告英秀は、前記後遺症により、一生他人の介護が必要であり、そのため将来にわたって月額一五万円を下回らない負担があるので、この金額をもとに「第一五回生命表」から推察される原告英秀の提訴時の平均余命六五年間の介護費用につき、ホフマン式計算法により中間利息を控除して、その現価を求めると、五一四〇万八〇〇〇円となる。

150,000×12×28.560=51,408,000

(3) 慰謝料 五〇〇万円

原告英秀は、重度の後遺症を負っており、その精神的苦痛は金銭で評価できないが、あえて言えば五〇〇万円を下らない。

(二) 原告誠虎及び原告崔の損害

(1) 慰謝料 各五〇〇万円(合計一〇〇〇万円)

原告誠虎及び同崔は、最愛の子が岐阜病院の不十分な医療のため重度の障害を負うに至ったもので、深い苦しみを味わってきている。この苦しみは到底金銭で評価できないが、あえて金銭賠償を求めるとすれば、各々五〇〇万円を下回るものではない。

(2) 弁護士費用 各二〇〇万円(合計四〇〇万円)

原告誠虎及び同崔は、被告が任意の賠償に応じないので、弁護士を依頼して訴を提起せざるを得なかった。日弁連の報酬等基準規程をもとに、訴提起時に被告が負担すべき右弁護士費用を算出するとすれば、四〇〇万円が相当であり、原告誠虎及び同崔が各々その半額を負担する。

5  よって、被告に対し、原告英秀は、八九五七万円、原告誠虎及び同崔は、各々七〇〇万円とこれらに対する不法行為発生の日である昭和五七年六月一五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)ないし(三)の事実はいずれも認める。同(四)の事実は、意識が回復しなかったこと及び退院時歩行不能、会話不能であったことは否認し、その余は認める。なお、事実経過については、後記被告の主張のとおりである。

3  同3(一)の事実は、(1)のうち心室中隔欠損症の病態及び(3)について一般論としては認める。同(二)の事実は、(1)の契約の存在を認め、その余は争う。

4  同4の事実は争う。

三  被告の主張

1  診療、手術及び退院までの経過

(一) 原告英秀の初診から手術決定までの経過

原告英秀が岐阜病院へ来院し、診療を受け、その後本件手術を受けた経過は次のとおりである。

(1) 初診から入院決定まで

(ア) 原告英秀は、岐阜県美濃加茂市太田町所在安藤医院の安藤英一医師の紹介状をもって、昭和五六年一二月一七日心臓精密検査の目的で岐阜病院を訪れ、外来受診した。

岐阜病院における初診医小林君美(当時副院長。以下「小林医師」という。)に対する主訴の内容は、「一か月検診で心雑音を指摘され、四か月目に肺炎で国立療養所長良病院に一週間入院した。退院後も定期的にレントゲン、心電図を撮っていた。心室中隔欠損症の疑いがある旨診断され、四歳時に至って前記安藤医師から精密検査を受診するように指導された。」というものであった。

(イ) 初診時の所見は、心電図では左室肥大(LVH)が、また、聴診では心雑音第四肋骨間胸骨左縁を中心に四度の収縮期雑音(心臓の収縮期に起きる雑音でLEVINEの分類で一から六度の強度に分類され、四度は「かなり強度で振戦を伴う。」ものであり、心室中隔欠損症の特徴である。)が認められた。そこで、更に精密検査のため入院が必要であるとされた。

(ウ) 昭和五七年三月二〇日、岐阜病院の外来受診において、外科医長の伊東医師が診察したところ、心雑音は初診時と同様であり、レントゲン写真では肺血管の陰影が増強していた。そして、原告英秀は、心室中隔欠損症の中等症と診断された。

(2) 手術決定まで

(ア) 原告英秀は、昭和五七年四月一二日、岐阜病院に入院した。入院時の身体の状況は、脈拍八九、血圧一一八―七〇であり、顔色は良好であった。

(イ) 同月一五日に心臓カテーテル検査を実施した結果、肺動脈圧は収縮期圧二三拡張期圧一五(平均圧一九)でやや高く、短絡率(左室から拍出される血液が穴を通って右室へ流れる率)が酸素飽和度で三〇%、色素希釈試験では五八%であるため、中等度のⅡ型の欠損口(心室中隔欠損症の型はKIR-KLINの分類でⅠ〜Ⅳまで分類され、Ⅱ型は膜様部の欠損した型である。)と認められた。そこで、これを閉鎖するための手術が必要であると診断され、六月中に手術を実施することを予定して、同月二一日、原告英秀は、いったん退院した。

(ウ) 原告英秀は、同年五月二二日外来受診し、その際、同年六月八日に入院し、六月一五日に手術を実施することに決定した。

(二) 原告英秀の入院後の経過

(1) 入院から手術当日までの経過

(ア) 原告英秀は、昭和五七年六月八日、原告崔に連れられて、岐阜病院に入院した。入院時所見は、「体格やや細い(身長一〇八cm、体重一七kg)。チアノーゼなし。脈拍は規則的で特に異常なし。顔つき、呼吸に異常なし。扁桃は一度の腫れがある。肺は軽度のラ音。腹部は異常なし。前胸部突出、第三〜四肋骨間胸骨左縁に四度の心雑音あり。振戦(スリル)をふれる。38.5度の熱がある。」であった。原告英秀の主治医となった住友医師は、発熱が続くようなら手術を延期することとし、風邪薬を投与した。

(イ) その後手術の前日までの診察経過は、以下のとおりである。

六月九日 熱37.8度

六月一〇日 熱36.9度、鼻血二回、朝食後吐き気あり。

六月一一日 熱36.7度、鼻血はなし、そのほか特に変化なし。住友医師から原告崔らに心臓手術について説明がなされた。

六月一二日 熱36.6度

六月一三日 熱36.2度、36.8度

六月一四日 熱36.5度、36.5度元気良好

(2) 手術開始から急変まで

同年六月一五日、原告英秀は、病室においてウィンタミン七mg、硫酸アトロピン0.4ml、オピスタン0.6ml、ラボナ錠二五mgの各投与を受けた上、午前八時四五分手術室へ入った。

手術術式 経三尖弁的VSD(心室中隔欠損)閉鎖術

体位 仰臥位

執刀医 伊東医師

助手 小林医師、住友医師

麻酔医 井上律子(以下「井上医師」という。)

人工心肺器 五十部医師

担当看護婦 岩島看護婦(介補者)纐纈看護婦(記録係等) 長瀬看護婦平光看護婦

八時五〇分 心電図モニター装着酸素マスク装着左鼠蹊部の静脈を切開し、静脈測定用カテーテル一四号を設置

九時二〇分 血圧、直接動脈圧測定器を設置

九時二五分 右足の静脈を切開、輸血留置針エラスター二一Gを設置

九時三〇分 膀胱バルーン挿入

九時三五分 挿管のためラボナール2.5ml、サクシン一Aを静注

九時四〇分 気管内挿管し全身麻酔開始 酸素二l/分投与 左足の静脈を切開し、輸血留置針エラスター二一Gを設置

九時四五分 酸素1.5l/分、笑気1.5l/分を投与 ミオブロック一A静注

一〇時七分 酸素二l/分、笑気二l/分とフローセン0.5%を投与し手術開始 皮膚は正中切開

一〇時一五分 胸骨縦切開

一〇時三七分 心膜切開 心外膜癒着なし、滲出液正常、左房膨大なし、右房膨大あり、心室表面変化なし、冠血管走行性状正常

一〇時四〇分 右股動脈テーピング

一〇時四二分 心拍やや不良となり血圧降下(以下「第一回目の心拍不良、血圧低下」という。) フローセン遮断モルヒネ一Aを投与 直接心マッサージを実施

一〇時四五分 大動脈(一七mm)肺動脈(二〇mm)の直径計測

一〇時四六分 大動脈(AO)、上下大静脈(SVC、IVC)テーピング

一〇時五〇分 上行大動脈にカルジオプレジア注入用のタバコ縫合

一〇時五五分 右房のタバコ縫合その後次第に心拍不良となり、血圧はほとんど出ず。一一時すぎ一時的に心停止有り(以下「第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止」という。)

(3) 急変後にとった措置

一〇時五八分 人工心肺器接続のため、上大静脈に二二号カテーテル、下大静脈に二六号カテーテルで脱血管挿入

一一時〇分 股動脈に三号カテーテルで送血管挿入

一一時四分 心拍増強作用をはかるため、カルニゲン1/2A静注

一一時五分 人工心肺回路に接続

一一時七分 人工心肺器を酸素2.5l/分、灌流量1.8l/分で体外循環を開始

一一時九分三〇秒 SVC(上大静脈)遮断 続いてIVC(下大静脈)遮断 さらにAO(大動脈)を遮断 次いで心臓を停止させるため、ヤング氏液二〇cc、カルジオプレジア液二〇〇cc注入 局所冷却 心停止(一八分五〇秒間)させ開心術を開始

一一時一八分 右房を切開、三尖弁を通してVSD五mm×五mmの大きさを確認

一一時二一分 合成糸二本を用いて直接縫合閉鎖

一一時二八分 右房を縫って心臓を閉じた。続いて大動脈、上下大静脈遮断を解除

一一時三三、三四分 DC(除細動―除細動機を使って心室細動状態から正常な心拍に戻すこと)を実施(二回)、心拍再開

一一時三六分 人工心肺器停止

一一時四〇分 送血管抜去

一一時四二分 心室細動になりDCを実施(一回)、心拍が正常となる。

一一時四五分 股動脈を縫合

一一時四七分 心臓の動きが低下(以下「第三回目の血圧低下」という。)

一一時四八分 上行大動脈のタバコ縫合部を利用して送血管挿入開始

一一時五二分 人工心肺器を灌流量1.8l/分でスタート

一二時一〇分 人工心肺器をストップ

一二時二三分 心膜縫合

一二時四五分 胸骨縫合

一三時一〇分 皮下縫合

一三時二〇分 皮膚縫合 手術終了

一三時三〇分 胸部レントゲン写真撮影 心肺に特に異常認めず。

一三時五〇分 手術室を出て、病棟へ帰室

(4) 集中治療室入室後の経過

六月一五日(手術当日)

二〇時三〇分 覚醒。

六月一六日

開眼しているも反応鈍い。

六月一七日

意識の回復が遅れているので、依頼した岐阜大学脳神経外科山田教授の診察を受け、脳虚血後の脳障害の疑いあると診断される。

七月九日

県立岐阜病院脳外科大熊部長の診察を受ける。所見は、CT上は小児の脳としては、中等度の脳萎縮ありとのものであった。

九月二四日

県立岐阜病院脳外科大熊部長の診察を受ける。所見は、脳萎縮(脳溝、脳室の拡大)が進み、脳溝も著明化してきている、開眼しているものの眼が見えていないようで、大脳の高等な機能に特に障害が出ているとのものであった。

九月三〇日

前記山田教授の診察を受け、CTでは脳萎縮は増強、右内包周囲に低密度領域がある等の診断を受ける。

昭和五八年

三月から一二月にかけて、リハビリテーション等のため国立療養所長良病院で診察を受ける。

一二月二二日

岐阜病院を退院。木沢病院脳神経外科への紹介状が渡される。

(三) 退院時の状態

血圧、脈、呼吸等の一般状態は良好。

視覚機能 人の顔を判別し、物を識別できる。例として注射器をこわがる。

聴覚機能 人の言うことを理解できる。

触覚機能 スプーンや体温計をおとさず握っておれる。

運動 数歩は一人で歩ける。階段は這って昇れる。

言語 簡単な言葉を自動(自発)的に使える。

手の機能 両手を使えるが、左手の方がよく出る。

2  被告の無過失

(一) 第一回目の心拍不良、血圧低下について

(1) 発生の不可避、帰責事由の不存在

(ア) 心臓手術中、手術手技の巧拙いかんにかかわりなく、開胸、胸骨切開、心膜切開、大血管周囲剥離など一連の手術操作が適切になされ、安全配慮が尽くされたとしても、血圧低下や心停止は一定の確率で起こるものである。このような心停止の発生機序については、未だ十分に解明されたとは言い難い状況にあり、外気とは隔絶された特殊な呼吸環境、麻酔剤による循環の抑制と自律神経平衡の異常、反射など現代の麻酔学がまだ十分コントロールできない諸因子の複合的影響下で不可避的に発生するもので、幾百例に一例程度の頻度で存在している(〈書証番号略〉)ところであり、不可抗力のなせるわざというほかない。

(イ) 心臓外科手術において生じる心拍不良あるいは血圧低下の原因としては、①循環血液量の減少、②低酸素症、③代謝性アシドーシス、④電解質のバランス不均衡、⑤輸血のミスマッチ、⑥麻酔薬フローセンの影響、⑦迷走神経反射が一般的なものとしてあげられる(証人伊東の第一回証言(当該証人の最初の尋問期日の証言を一回、続行期日のそれを二回と表示する)三八ないし四三ページ。以下「証人伊東一回三八〜四三」と表わす。他の人証も同様)。

第一回目の心拍不良、血圧低下についてみると、①の循環血液量の減少については、出血も非常に少なく手術が終了しておりその可能性はない。②の低酸素症については、本件麻酔は、笑気一対酸素一と通常より酸素の比率を多くしていること、また、心筋の色を確認していること、更に心筋収縮力が弱い場合は静脈圧等も上がってくるのが普通であるが、静脈圧も上昇していないことから可能性はない。③の代謝性アシドーシスについては、通常尿量の減少によってもたらされるが、本件においては十分な尿量が確保されており可能性はない。④の電解質による場合は、術前に電解質検査を実施し、ナトリウム、カリウム等につき正常であることを確認しており可能性はない。⑤の輸血については、手術前に血液型に合わせる交叉試験を行っており、交叉試験で問題のなかったもののみを使用しており可能性はない。⑥の麻酔剤については、使用した麻酔剤フローセンは心筋を抑制する効果があるので、このフローセンの影響と⑦の迷走神経反射が相乗的に働いて、第一回目の心拍不良、血圧低下に至ったものと考えられる(証人伊東一回三九〜四三)。

本件手術においては、手術当日、麻酔薬としてフローセンが使用されているが、このフローセンにより心拍不良が惹起されるのを防ぐためにフローセンの分量を普通より少なめにしていたのであるから(証人井上一回五〇)、フローセンのために心拍不良が惹起されることに対しては、可能な限りの防止策がとられていたと言える。また、迷走神経反射による血圧低下について検討するに、収縮期圧六〇mmHg程度までの血圧低下や心拍不良は時に経験される現象で、心膜や心臓への刺激による迷走神経反射に由来するものと考えられているが、その発生を予測することは難しい(〈書証番号略〉)。

本件手術中、原告英秀が最初に心拍不良となり血圧が低下したのは、午前一〇時四〇分すぎころの心膜切開をしているころであるが(証人伊東一回三九〜四三、証人井上一回五六)、心膜切開はもともと心臓には全く圧迫を加えるものではないから、被告側の粗暴な操作によって血圧低下が起きたという余地はない(証人伊東一回四四)。

更に本件においては、迷走神経反射抑制のために手術前に硫酸アトロピンを適切な時期に適量を投与しており(証人井上一回四一)、心拍不良の発生に備えて可能な限りの事前の予防策が講じられていたといえる。現在の医療水準では、硫酸アトロピンを適切な時期に適量を投与しても迷走神経反射の発生を完全に抑制することはできず(〈書証番号略〉)、また、それを予測することも不可能である(証人伊東一回四七)。

したがって、本件では、硫酸アトロピンを的確に投与していたのであるから、第一回目の心拍不良、血圧低下の発生は、フローセンの使用と迷走神経反射との相乗作用によって生じたものであり、血圧低下の発生を予測することも回避することも不可能であり、被告側に第一回目の心拍不良、血圧低下を発生させた過失はない。

(2) 第一回目の心拍不良、血圧低下に対して適切な措置を講じたこと

麻酔薬としてフローセンが使用された心臓手術中に血圧低下が発生した場合、医療チームとしては、①フローセン遮断、②心マッサージの実施もしくは昇圧剤の投与の措置をとるべきであるとされているが、被告側は、これらの措置を適切に講じており、この措置により、原告英秀の血圧は改善された。

(3) 第一回目の心拍不良、血圧低下後の手術時の措置に過誤のないこと

小児の正常血圧は、成人に比し、相当程度に低い値を示すのが通常であり、原告英秀の場合も午前八時五五分ころの血圧は、八〇―四八と記録されている。

そして、六〇mmHg程度の血圧が維持されれば、大動脈・肺動脈径の測定などは通常行われる手順であって、本件では、午前一〇時五〇分の血圧は、約六五―三〇となっていたことからも、フローセンの遮断と心マッサージの実施により血圧の改善を得た被告側が手術を続行した際の措置に過誤はなかったといえる。

このとき行われた大動脈や肺動脈(即ち大血管)の直径計測は、コンパス様のもので、大血管の表面に触れるか触れないかの程度の接触で一瞬の間(約一秒)にコンパスの開きを決定し、この開きの長さを手術野外に置いてある物差しにあて計測をするものである。このため大血管への接触はごく軽度の一瞬間であり、心拍悪化や徐脈の原因となりえないことは医学上の常識である。

心臓手術中の低血圧の発生は、開胸、胸骨切開、心膜切開、大血管周囲剥離、心臓への直接操作によって血圧の著明な下降をきたすことがあるのであって(〈書証番号略〉)、大血管の周囲剥離などの際にみられるものであり、単なる計測では惹起されないものである。また、大血管の周囲剥離を伴う手術操作のうち、大動脈及び上大静脈のテーピングは、下大静脈よりも比較的浅い位置にあるので、心臓への圧迫はごく軽微なものである。

下大静脈テーピングについては、通常の方法(〈書証番号略〉)では、かなりの圧迫があるものの、伊東医師のとったテーピング方法(〈書証番号略〉)は、左手の甲で心臓を左方へ軽く圧排して、テープを通すものであり、この方法によれば、心臓への圧迫はごく軽微である(証人伊東一回二二)。しかも、この下大静脈テーピングは、心拍回復後に行われている。

したがって、手術を続行したことについて、被告には何ら注意義務違反の点はない。

(二) 第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止について

(1) 発生の予見可能性

(ア) 第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止は、伊東医師が人工心肺装置を作動させるために不可欠な右心房へのタバコ縫合を実施していたときに発生した。この血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止の原因は、その手術操作の中で鉗子で心房をはさむことから、迷走神経反射が起こったものと認められる(証人草川四一)。この手術操作の過程での迷走神経反射の発生頻度は、三〇ないし四〇位まで血圧が下がる程度のものについては、当時の原告英秀と同年令の四、五歳以下の子供で約一〇パーセントあるのに対し、心停止に近い状態に陥る程度のものの数は少なく(証人草川四四)、したがって、本件で、午前一一時すぎころの心停止が発生することを予測することは困難であったというべきである。

(2) 第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止の回避措置に過誤のないこと

(ア) 前記(1)のとおり、タバコ縫合などの過程で迷走神経反射により心停止に近い状態が発生するのは予見困難であるのに対して、血圧が三〇ないし四〇程度に下がる状態は、約一割あるとされるところではあるが、この程度の迷走神経反射に対しては、何の措置も講じなくても心拍は回復するものである(証人草川四四)。したがって、本件において、術者の伊東医師らは、第一回目の心拍不良・血圧低下後、通常の手術手順(証人伊東一回二〇、二三)と異なる手順(例えばタバコ縫合の前に股動脈に送血管を挿入すること)をとらなかったものである。他方、(一)(2)で述べたとおり、本件手術においては、第一回目の心拍不良・血圧低下に対してフローセン遮断、モルヒネ投与、心マッサージの実施などの適切な措置がとられており、このことが、後の血圧低下等に対しての回避措置であったと評価できるものである。したがって、第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止の回避措置に過誤はない。この状況のもとで、タバコ縫合の最中に迷走神経反射により第二回目の血圧低下が発生したのであるが、タバコ縫合などの過程で生ずる迷走神経反射は、手術に不可欠な操作に伴って発生するものであるから不可避というほかない。

(3) 第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止に対してとられた措置が適切であったこと

第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止に対しては、伊東医師らによって心マッサージがなされるとともに(証人井上一回七三、証人伊東一回七四)、昇圧剤としてカルニゲンが投与された(証人井上一回七四)。

このような措置により、原告英秀の血圧は、午前一一時五分には、六〇―二八にまで回復したことなどからすると、担当医師らが第二回目の血圧低下及び午前一一時すぎころの心停止に対してとった措置に過誤はない。

(三) 第三回目の血圧低下について

(1) 第三回目の血圧低下前後の経緯

(ア) 午前一一時二一分、VSD(心室中隔欠損症)五mm×五mmを直接縫合閉鎖し、同二八分右房を縫って心臓を閉じ、大動脈及び上下大静脈遮断を解除した。心臓の活動を再開させるため同三三、三四分、DCを二回実施し、心拍が良くなったので、同三六分人工心肺器を停止し、同四〇分送血管を抜去した。その後同四二分ころ心室細動となり、DCを一回実施し、心拍が正常になったので、同四五分股動脈を縫合した。

(イ) 同四七分血圧が低下したので、直ちに(同四八分)上行大動脈のタバコ縫合部を利用して送血管を挿入し、同五二分ころに部分体外循環を開始し、午後〇時一〇分、心臓の動きが良くなったので人工心肺器を停止させた。

(2) 発生の予測可能性

本件開心術時の心筋保護のため、カルジオプレジア液が用いられているが、カルジオプレジアは、数時間の虚血のあとでも、きわめて良好な心筋の保護が図れるものである上、しかも心筋の回復力は大きいものがある。心筋はいかに虚血がひどいものであっても、数分間におこる細胞変化は、その後に有効な冠血流が回復するならば、完全に可逆的なものであり、正常な心機能を、直ちに完全に回復する(〈書証番号略〉)。

本件手術においては、第一回目の心拍悪化はごく短時間で心停止には至らず、第二回目には心停止に至ったものの心筋の虚血時間は多くとも五分以内の短時間であり、一一時五分には血圧も六〇―三八と記録されていることから、有効な冠血流が回復されているので、心機能は完全に回復していたと考えられる。

以上により、第三回目の血圧低下は予見不可能であった。

(3) 第三回目の血圧低下の回避措置に過誤のないこと

大動脈遮断解除後の部分体外循環の適正な時間について、医学界において、「心臓が循環を回復できる適当な時期を、QRScomplex(モニターによる心電図の心室の幅の動きを表す波形)が狭くなっていること、心臓が全体にピンクになること、そして部分体外循環下に体血圧に抗して許容できる左房圧で左室が駆出していること、で判断している。収縮が十分であることを目で見て判断することもまた有用である。通常、補助循環の期間は、大動脈遮断時間が一時間であるならば一〇分、二時間であるならば二〇分、そして三時間ならば三〇分である。」という意見もあり(〈書証番号略〉)、本件手術において、完全体外循環後に補助循環に要した時間は、六分五〇秒である。本件では、補助循環時間が大動脈遮断時間の約三分の一強あり、右意見に照らしても短かすぎたとはいえない。

逆に、人工心肺装置はあくまでも人体と異なる人造装置であって、体外循環には副作用があることからすると、体外循環は、心拍の動き等を判断して、可及的短時間に留める必要がある(時間が長くなるほど溶血等の副作用が発生する)。

問題は、心拍や血圧をどう評価するかであるが、体外循環終了時の血圧(橈骨動脈圧)は、末梢血管、特に上肢血管の拡張により、心機能の低下とは関係ない末梢血管抵抗の異常に由来する低血圧であるので(〈書証番号略〉)、術者は心臓の動きで判断するのが相当であり(証人草川七二)、伊東医師らは、心拍が正常であると判断して部分体外循環を終了したものであって、注意義務を尽くしている。

英秀の心拍は、(三)(1)(ア)でも述べたとおり、人工心肺器を停止した午前一一時三六分ころには良好であったが、その後同四二分に心室細動となったので直ちにDCを一回実施し、実施直後から心拍が正常となり、同四五分には血圧が六二―三四となった。そこで股動脈の送血管を抜去し縫合したところ、同四七分ころより心臓の動きが低下したので、同四八分に上行大動脈のタバコ縫合部から送血管を挿入して、五分後の午前一一時五二分には部分体外循環を開始している。このように、血圧低下が続いたのは、一一時五二分までの約五分間にすぎない。そして、送血管を抜去したのは、送血管が挿入されている以上出血が続いているので、早めに送血管を抜去しヘパリンの投与を止め、出血を最小限にする必要があるからである。

本件では、仮に脱血不良が生じ、かつ下静脈圧のみならず上大静脈圧も異常上昇したと仮定した場合、それは、多くとも約二〇分間(午前一一時一〇分より後から同一一時三〇分より前)しか続いていない。しかも、本件では、仮に脱血不良が発生したとしても、それは血流停止ではなく、完全ではないながらも血液の流れはある状態である。

大静脈に挿入された脱血管の異常による脳障害の発生機序は、上大静脈の脱血不良による脳静脈圧の上昇、これによる脳浮腫、脳血流量減少とするのが医学の常識である。上大静脈の脱血が悪いほど脳障害も強い。しかし、このような脳浮腫による脳障害は可逆性である(証人草川)。

したがって、本件においては、脳障害の発生原因を脱血不良に求めるのは相当でない。

(四) 体外循環中の脳血流障害

麻酔記録(〈書証番号略〉)より、原告英秀の静脈圧の推移がわかるが、この記録は、短くとも五分間の間隔を開けて測定されたものである(グラフ上、点と数値の記載のない時間帯は静脈圧は測定されず、測定値が記載されていないと読むのが正しい。)。

したがって、同記録においては、各点間が直線で結ばれているが、この線は、必ずしも実際の数値の推移と一致していない可能性がある。同記録によれば、中心静脈圧の数値は、それぞれ午前一一時一〇分ころの時点が一六、同一五分及び二五分の時点が三四、同三〇分の時点が一五である。午前一一時九分四〇秒には上下大静脈遮断がなされて、完全体外循環が始まり、午前一一時二九分一〇秒には上下大静脈遮断が解除されて(上下大静脈遮断解除と大静脈遮断解除は同時刻である。)部分体外循環が始っている。よって、この事実を総合すると中心静脈圧が三四を示していたのは、完全体外循環が実施されていた時間内のみであるということができる。

ところで、下大静脈圧の数値が上昇する原因には、(1)脱血不良と(2)下大静脈圧測定にあたって測定用カテーテルが適正な位置に入らなかったことの二つが考えられる(証人草川二三以降)。また、このうち(2)には、①静脈圧測定用カテーテルが適正な血管に入らない場合と②静脈圧測定用カテーテルが少し深く入りすぎて心臓の近くまで達した場合の二つがある。これら(1)、(2)①及び(2)②の差異を静脈圧の数値の推移でみるならば、(2)①においては、体外循環開始前から中心静脈圧の数値が上がったりする異常がみられ、また、(2)②においては、完全体外循環中のみ中心静脈圧の異常な上昇がみられるのに対して、(1)においては、完全体外循環中のみならず部分体外循環中も中心静脈圧の異常な上昇がみられるものである(証人草川二七以降)。したがって、本件で仮に脱血不良が発生していたならば、原告英秀の静脈圧のグラフは、完全体外循環時間内のみならず部分体外循環中にも異常高値を示していなければならないはずである。しかし、実際には原告英秀の下大静脈圧は、前に検討したとおり、完全体外循環の時間内のみ三四という異常高値を示すとともに、部分体外循環に移行した午前一一時二九分一〇秒は一五程度と異常な高値とはいえないのであり、この実態は、正に本件では、(2)②の、下大静脈圧の測定にあたって測定用カテーテルが少し深く入りすぎて心臓の近くにまで達していたという状態が発生したことを示すものである。

そこで、次に(2)②の状態を説明する。下大静脈圧の測定にあたっては、まず、測定用カテーテルを股静脈から挿入する。その際、中心静脈圧は、右心房圧の代用として測定する目的上、チューブの長さは、鼠蹊部と季肋部(肋骨の下の一番下の部分)の距離に大体一致した長さとするのが通常である。このため、時としてチューブの先端が心臓に近すぎて、下大静脈遮断によって静脈圧測定用のチューブの先端が下大静脈壁と脱血チューブの間に巻き込まれ、正しい下大静脈圧を表示しなくなる(〈書証番号略〉)。すなわち、下大静脈遮断の際に測定用カテーテルの先端を脱血カニューレと下大静脈の間にはさんだりすると、チューブ内の圧は異常に上昇するのである。

このような知識もふまえて、本件で、被告側は、原告英秀の静脈圧の上昇について測定上の問題として対処したものである。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  被告の債務不履行について

(一) 第一回目の心拍不良、血圧低下について

午前一〇時四二分のフローセン遮断の事実は否認する。

麻酔記録(〈書証番号略〉)によると、改竄の形跡があり、フローセンは、午前一一時一〇分まで継続していたこと、そして、午前一〇時四二分におきた第一回目の心拍不良は、同四五分ころにも継続しており、そのときの血圧低下は著しいものであったことが推定できる。

本件手術において、心膜切開固定をしている午前一〇時四〇分過ぎ頃から心拍不良、血圧低下が始まったとしても、伊東医師は、手術操作の継続が心拍異常、血圧低下を悪化させることを予見して、一旦手術操作を中断し、心拍、血圧の動向を注意深く観察し、血圧並びに心拍の十分な回復を確認したうえで、慎重に手術操作を再開すべき注意義務があるのに、これを怠って、漫然と午前一〇時四五分頃、大動脈、肺動脈の直径計測、続いて大動脈、上下大静脈のテーピングという心臓に圧迫を加える手術操作を継続したため、著しい血圧低下を惹起する結果となったものである。すなわち、フローセンの心筋抑制作用と心膜切開固定による迷走神経反射の相乗的効果により心拍不良、血圧低下が生じたとしても、それだけで心停止に近い著しい血圧低下が生じたのではなく、伊東医師が、漫然とフローセンの使用を続け、また、手術操作を一時中断して血圧の回復を待ち、必要に応じて昇圧剤を投与するなどして、血圧が回復したことを十分確認することを怠り、漫然と大動脈、肺動脈の計測や大動脈、上下大静脈のテーピングの手術操作を継続したために、心臓に圧迫を加えて、心拍、血圧低下を著しく悪化させたもので、右著しい血圧低下は、麻酔剤の調節および手術操作に細心の安全配慮を欠いた不適切な処置によって惹起されたものというべきである。

(二) 第二回目の血圧低下及び心停止について

このとき、体外循環のための手術操作を進めると同時に心臓マッサージを施したとする点について、心臓マッサージを施したことは否認する。心臓マッサージについては診療録に記載がないし、実際にも、体外循環の可及的早急な開始のために、二本の脱血管の挿入の措置を急いでいた状況のもとで、同時に心臓マッサージを行うことは不可能である。

ところで、右房のタバコ縫合は、心臓に直接負担をかける手術操作である。したがって、心臓外科医としては、前記のような第一回目の血圧低下があったことを考慮すれば、右の手術操作により再び心拍異常、血圧低下ひいては心停止が発生する危険があることを予見すべきである。そして、被告主張のように、午前一〇時五五分頃、伊東医師が右房にタバコ縫合をしていたとしても、前記麻酔記録の血圧測定記録によれば、右時点の血圧は、観血的動脈圧のモニターによる測定値で七〇―三五と記録されており、未だ十分血圧が望ましい状態に回復していたとは認め難い。

したがって、医師は、以後の手術操作を進めるに当たっては、心拍異常、血圧低下、心停止の発生の危険を予見して、できるだけその危険の発生を防止し、かつ、万一その危険が発生した場合に備えるために、一層慎重に最も安全な医療処置を選択すべき安全配慮義務があり、医師の広範囲な自由裁量が認められるべきではない。このような場合、医師は、血圧低下等の危険に備えて、体外循環の準備を最優先にすべきであり、まず、股動脈へ送血管を挿入した上、右心房へ一本脱血管を挿入して、いつでも体外循環を開始できるようにしておくべきである。そうすることによって、万一右心房のタバコ縫合の手術操作により心停止が発生した場合でも、即座に体外循環を開始することによって、脳の虚血を最小限に止めることが可能になるのである。

ところが、伊東医師は、慎重に血圧低下等の再発の危険を考慮することを怠り、右のような体外循環の準備を優先して整えることなく、漫然と、心拍異常、血圧低下、心停止を惹起する危険のある右心房のタバコ縫合の処置を開始したため、それによって惹起された心拍異常、血圧低下に即応した適切な処置をとり得ないまま、右異常事態のもとで脱血管、送血管の挿入の処置を進める結果になり、心停止という重大な事態を惹き起こし、その後体外循環を開始するまで七分もの時間を要することになってしまったのである。このように、血圧低下、心停止の危険を慎重に予測して体外循環の準備を優先的に進めないで、漫然と右心房のタバコ縫合を開始して、血圧低下、心停止を惹起し、体外循環の開始を遅滞した伊東医師の過失は重大である。また、第一回目の心拍不良、血圧低下に引き続いて、第二回目の血圧低下及び心停止のようなトラブルが発生したような場合には、笑気ガスも中止し、純酸素を供給して心筋を十分に回復させたうえで手術操作を再開すべきであったのであり、この点においても、伊東医師らは、慎重な配慮を欠いており、過失がある。

(三) 第三回目の血圧低下及び心停止について

本件のように、体外循環中、心筋の収縮運動を抑止するカルジオプレジア液が投与されていることに加えて、手術中に心拍の不良、著しい血圧低下、心停止という異常事態が二度にわたって発生した場合には、心筋の機能が弱っていることが十分予見できるので、完全体外循環を終了した後も、冠動脈を通じて心筋に新鮮な血液を送って心筋の末梢に至るまで酸素を十分に補給し、心筋の機能が十分に回復して自力の心拍が安定するまで、心筋の収縮運動を助けるために、少なくとも一五ないし二〇分程度は、人工心肺装置による補助的な部分体外循環を実施すべきである。この程度の部分体外循環では、溶血等の副作用の危険もないから(証人福増一〇九以下)、本件の具体的な事実関係のもとでは、医師の安全配慮として、五分でも二〇分でもよいというような裁量が認められる余地はなく、一五分ないし二〇分程度の部分体外循環を行い、心臓の自力の心拍の回復を確実にしなければ、安全配慮義務を尽くしたとはいえないのである。

本件においても、担当医らは、全員が少なくとも第二回目の前記心停止により低酸素性脳症による脳障害の後遺症を生じるかもしれないことと予想し、術後の体温も低体温に保持したのであるから、伊東医師としては、体外循環を終了するに際して、より慎重に一五ないし二〇分程度の部分体外循環を施すべきであったのに、右のような安全配慮を尽くすことなく、補助的部分体外循環をわずか四分三〇秒実施したのみで、人工心肺装置を停止してしまい、しかも、直ちに送血管も抜管してしまった(なお、被告は、本件訴訟の最終段階において、従前の主張や人工心肺時間記録(〈書証番号略〉)の記載までも訂正して、補助的部分体外循環時間は、四分三〇秒ではなく六分五〇秒であるとして、二分二〇秒の延長を図っているが、仮に百歩譲って、右時間は六分五〇秒であったとしても、本件の場合には著しく短時間に過ぎることは明らかである。被告が本件審理の最終段階に至って、このように補助的部分体外循環の時間の延長を図ろうとする背景には、その時間の短さが本件においては重要な争点であることを認識し、原告英秀の後遺症に重大な影響を与えたことを知っているからにほかならない。)。加えて、前記麻酔記録には、右送血管を抜管した午前一一時四〇分の時点における血圧の測定値の記載がないので、その時点で血圧の著しい低下とそれに続く心停止があったことが推定されるのであって、伊東医師において、判断を誤り、見かけの心拍のみで心臓の機能が回復したものと軽信し、同時に、送血管の抜管に際して、心拍と血圧の動向を十分慎重に観察しなかったことも推認できる。そして、その後、前記のように除細動を実施して心拍の回復が図られているものの、右のように早期に送血管を抜管してしまったため、結局、人工心肺装置による部分体外循環を再開するまでに一〇分余りの時間を要しているのである。

以上の経過を見ると、伊東医師のとった処置は、心拍不良、血圧低下、心停止の危険に対する見通しが甘く、本件手術中に発生した心停止等の異常事態を十分考慮した上、心臓の機能回復を十分に図るために補助的部分体外循環を適切に実施するという安全配慮を怠ったものである。そして、右のような心停止とその後の人工心肺装置による部分体外循環の開始の遅滞が、第二回目の心停止に加えて、原告英秀の脳障害を悪化させたから、伊東医師の右過失もまた重大である。

(四) 体外循環中の脳血流障害

(1) 前記麻酔記録によれば、午前一一時七分に人工心肺装置による体外循環を開始した時点から下大静脈圧が異常に上昇し、体外循環の終了に一致して正常に復しており、特に、右上昇の期間のうち一〇分程度は三四cmH2Oという異常に高い数値を記録している。この事実は、体外循環の脱血管に異常があったことを示すものであり、脱血の異常により、上大静脈圧が上昇し(上大静脈圧は下大静脈圧の測定値とほぼ符合するのが通常である)、これによる脳血流障害が生じていた可能性が非常に高い。そして、それが低酸素性脳障害の原因となった可能性が高い。

(2) 被告は、右の下大静脈圧の異常な上昇は、その測定方法に問題があった旨主張するが、経験豊富な麻酔医や心臓外科医が比較的単純な下大静脈圧の測定操作を誤ることは考えられない。また、その測定方法に問題があるために異常な下大静脈圧の測定値が出たのであれば、下大静脈圧の測定が体外循環における送脱血のバランスが保持されていることを確認する必要上なされるのであるから、麻酔医の井上あるいは記録係の纐纈看護婦から当然直ちにその異常が指摘されるはずであるのに、そのような指摘がなされた形跡もない。

(3) 証人草川實の証言及び同人の鑑定意見書には、脱血管の異常により脱血異常があれば、人工心肺装置の監視者が当然気づくはずであるとする部分がある。しかしながら、体外循環において、上下大静脈圧が測定され、記録されるのは、送脱血のバランスを監視するためであり、人工心肺装置の監視のみでは送脱血のバランスの異常の発生を必ずしも発見できないから、右も根拠が薄弱である。しかも、本件では、肝心の大静脈圧の測定値に体外循環開始時点から異常な上昇が明らかに生じているのに、麻酔医らがその測定値の異常に気づいて、何らかの処置をした形跡は全くなく、右の測定値が異常を示していることさえも見過ごされていることを考慮すれば、人工心肺装置の監視者が送脱血の異常に気づいていないから、その異常がなかったとはいえない。

(五) 以上に指摘したとおり、原告英秀の低酸素性脳症は、伊東医師らの不適切な医療処置により、三回にわたる心拍異常、血圧低下、心停止の発生及び体外循環における脱血異常による脳の血流障害が積み重なって惹起されたものであり、被告が主張するように不可抗力による事故であると認めるに足りる証拠はなく、被告は債務不履行責任を免れない。

2  退院時及びその後の原告英秀の状態は、次のとおりである。

(一) 聴覚機能

原告英秀は、現在でも、人の言うことを理解できない。

(二) 触覚機能

スプーンや体温計を握っていられるとする点については、原告英秀は、病的に物を握らせるといつまでも握った状態でおり、自分から物をつまむようなしぐさをしたわけではない。

(三) 運動

原告英秀は、退院当時、全く歩くことができず、自力で這うこともできず、両親らが支えても立てる状態ではなかった。

(四) 言語

原告英秀は、現在も「アー」という音を出すだけで、一切言葉を話すことはできない。自己の意思を表すことはできない。

(五) 手の機能

原告英秀は、現在も右手は握ることすら満足にできない。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二原告英秀の入院から手術までの経緯

請求原因2(一)(二)の事実は当事者間に争いがなく、この事実と、〈書証番号略〉、原告金誠虎本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、被告の主張1(一)及び同(二)(1)の事実が認められる。

三原告英秀に対する本件手術の経過と担当医の過失

1  請求原因2(三)の事実、同3(一)(1)のうち心室中隔欠損症の病態、同3(一)(3)の一般論、原告英秀に対する本件手術中、午前一〇時四二分に心拍不良、血圧低下があり(第一回目の心拍不良、血圧低下)、一一時過ぎころ血圧低下から心停止に至り(第二回目の血圧低下、心停止)、一一時四七分に血圧低下があり心室細動になった(第三回目の血圧低下、心室細動)こと及び本件手術を境にして原告英秀が脳障害を負ったことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、〈書証番号略〉、証人伊東政敏、同井上律子、同福増廣幸及び同草川實の各証言及び原告金誠虎本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を併せると、次の事実が認められる。

(一)  原告英秀に対する本件手術中、手術術式、体位、執刀医、助手、麻酔医、人工心肺、担当看護婦、手術時間については、被告主張のとおりであるところ、本件手術は昭和五七年六月一五日に行われたが、手術当日には、手術操作で誘発されることのある迷走神経反射等による心停止を抑制するために、硫酸アトロピン0.4mgが、他の鎮痛剤とともに手術室に至る以前に投与された。そして、麻酔薬として、フローセン(ハローセン、F)が、笑気ガス(G)、酸素(O)と混合されて(いわゆるGOFの混合方式)用いられ、午前一〇時〇七分から手術が開始された。

(二)  手術は、胸骨の切開、心膜剥離等の手順により進行し、午前一〇時三五分過ぎから心膜の切開が始まった。ところが、同四〇分に体外循環の準備のために股動脈を露出させて、これにテーピングがなされた際には、そのとき収縮期一一〇mmHg、拡張期六〇mmHgあった血圧が、引き続いて心膜を切開し、心膜を周囲に固定していたときに低下し始め、同四五分にはマンシェットによる自動記録測定装置によっては計測できなくなるほどになったので、観血的動脈圧測定装置による直接計測に切り換えられた。そこで、担当の医師らは、フローセンよりも心筋抑制作用の弱いモルヒネを麻酔薬として使用することにし、モルヒネ一アンプルを静脈注射したものの、フローセンを遮断することはなく、フローセンの投与は、その後も一一時一〇分まで続けられた。この血圧降下(第一回目の心拍異常)は、伊東医師が心膜固定等の手術操作を休めて、心マッサージをすることにより一旦回復し、血圧が収縮期七〇mmHg、拡張期三〇mmHgにまで回復するようになったので、そのまま通常の手術手順である大動脈及び上下大静脈のテーピングを行い、脱血カニューレを挿入するために右心耳のタバコ縫合に続いて、右房にタバコ縫合をしていたが、午前一一時〇〇分ころになって、再び心拍不良になり、心停止に陥った(第二回目の異常)。そのため、担当の医師らは、昇圧剤であるカルニゲンを二分の一注射するとともに、伊東医師と住友医師とで心臓マッサージを行ったところ、心停止は回復し、一一時〇五分には、血圧が収縮期六〇mmHg、拡張期三〇mmHgとなった。同医師らは、右心臓マッサージと並行して脱血カニューレを上下大静脈へ挿入し、他方、股動脈に送血カニューレをつなぐなどして体外循環の準備を整えて、人工心肺に接続し、午前一一時〇七分に人工心肺を始動させ、送血側及び脱血側の空気抜きを行うなどの接続の準備を終えた。そして、午前一一時〇九分、人工心肺による体外循環を開始し、大動脈を遮断し、心筋の収縮運動を抑制し心筋保護のために、ヤング氏液を二〇ml、カルジオプレジア液を二〇〇ml投与した。そして、上下大静脈を遮断し、右心房を切開し三尖弁を通して、心室中隔欠損孔に達したが、原告英秀の心臓にある心室中隔欠損孔は、五mm×五mmの大きさのものであったので、二針で閉鎖した。

(三)  その後、担当の医師らは、右心房を閉じ、一一時二九分大動脈の遮断を解除し、更に上下の大静脈の遮断も解除した。そして、心房切開中心室細動の状態になっていた心臓を正常の心拍に戻させるため、二〇ボルトの電圧によるカウンターショックを一回かけたが心臓の動きが回復しなかったため、再度、今度は二五ボルトのカウンターショックをかけたところ、心臓の動きが回復したので、同三六分、体外循環を終え、送血管を抜去して股動脈の縫合をしたところ、後述のように第二回目の異常による脳障害の発生をおそれて低体温を維持したため冠状動脈の拡張も充分でなく、心筋虚血による障害が残っていて、心臓の拍出機能の回復が進まず、同四〇分過ぎに心臓の動きが低下し、心室細動の状態になった(第三回目の異常)。そこで、担当の医師らは、再び体外循環を開始することにし、上行大動脈に送血管を挿入し、同五二分には部分体外循環(部分灌流、補助循環)を開始したところ、一二時〇九分に心機能が回復したため、部分体外循環を終了したが、右医師らは、本件手術中に心停止がおこったため、脳に障害の発生することを危惧して、術後の体温を32.7度という低体温に維持することにして、手術を終えた。

右認定に反して、証人井上及び同伊東は、フローセンは、第一回目の異常のあった一〇時四五分に遮断しており、そのことは、同時刻にモルヒネの投与がなされていることからしても明らかである、そして、麻酔記録に、一旦フローセンを一一時一〇分まで投与した痕跡があるのは、前もって井上医師がこの程度までフローセンを投与するであろうという予測のもとに、引いてしまったものであって、現実には、一〇時四五分に遮断したのであり、それ以降の記載は後になって、現実の投与の時間に合わせるために抹消をしたにすぎず、手術後に記載を改竄したものではない旨供述している。しかしながら、モルヒネを投与したなら、フローセンを遮断するのが医学的な常道であるにしても、物理的には、フローセンの投与(ガスの吸入)とモルヒネの投与(アンプルの注射)とは両立する事柄であるから、モルヒネの投与がなされているからといって、フローセンが遮断されたとは必ずしも言い難い上、井上医師が事前に見込みでフローセンの投与を示す線を引いたというのは、時々刻々変化する心臓外科手術において重要な意味をもつ麻酔薬の記載に関するものとしては、不自然である。もっとも、右井上証人は、「証人の場合には、最初に大体使いそうなところまで線を引いてしまうことがあるわけですか。」との尋問に対して、これを肯定する供述をし、被告は、右供述にそう証拠として、同人作成の他の麻酔記録で、薬剤の投与を示す線が抹消されている痕跡の存在するもの(〈書証番号略〉)を提出する。しかしながら、本件で問題になっている麻酔記録は、心停止等が都合三回も起きるという井上医師が麻酔医として携わった手術のなかでも印象に残るべき手術に関するものであり、しかも、そのフローセンの遮断に関する事実は、麻酔医の責任を考える上において極めて重要な事柄であって同医師もそれを認識しているはずであるから、これを抹消した事実は、当然鮮明なものとして記憶に残るべきものであるにもかかわらず、井上医師の麻酔記録のフローセンに関する記載を抹消したことについての証言は、主尋問においては、分からないと述べておきながら、日を改めて行われた反対尋問において、主尋問終了後に思い出したとして、自分自身の習癖を挙げて述べるなど、極めて曖昧不自然なものであるから、本件麻酔記録のフローセンについての訂正後の記載は信用できない。

3 以上の事実によると、本件手術の担当医師らは、第一回目の心臓の異常が迷走神経反射による不可抗力として、回避できなかったものであるにせよ、その際、心筋抑制作用の強いフローセンを遮断することなく、一一時一〇分まで漫然と投与し続けた上、このように、第一回目の心臓の異常が生じており、しかも、その異常は、心臓マッサージをしなければ回復しないものであったにもかかわらず、股動脈への送血管の挿入を優先するなどの体外循環をすることを優先した手術技法を選択することをしないで、そのまま手術を続行してしまったため、第二回目の心臓の異常の際、心臓マッサージとともに体外循環の準備としての脱血管の挿入等の手技をも心臓及びその周辺において並行して行わざるを得なくなり、心臓マッサージを十分に行うことができず、その回復が遅れるなどの結果を招き、しかも、これらの手術中に生じた心停止を含む異常が二度にわたってあったのであるから、手術終了後においても、十全な回復に至っていない心臓による血液循環の補助として、これと併行して人工心肺による部分体外循環を少なくとも一五分程度の時間をかけて十分に行うべき義務があるのに(〈書証番号略〉及び証人福増廣幸の証言)、これを怠り、部分体外循環をわずか六分余りで終了させてしまったことから、その後に生じた第三回目の心臓の異常の際には、体外循環に向けての操作を上大動脈の脱血管の挿入から始めざるを得なくなったもので、この点に医師としての注意義務違反(過失)が認められる。

四原告英秀の脳障害とその後の症状

1 前記争いのない事実に、前掲各証拠並びに弁論の全趣旨を併せると、少なくとも、前示第二回目の異常(五分間程度の心停止)及び第三回目の異常(十分間を超える心室細動)により、脳動脈を経由して脳の神経細胞へ供給さるべき酸素が途絶え、主として大脳系の神経細胞の壊死を来し広汎な脳萎縮を生ぜしめたものであることが認められる。

2  〈書証番号略〉及び原告金誠虎本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を併せると、原告英秀は、昭和五七年一二月二八日に身体障害者手帳の交付を受けているが、本件手術による脳虚血により中程度の脳萎縮を来たし(〈書証番号略〉)木沢病院その他の施設におけるリハビリテーションによっても、なお現在言語等により自分の意志を表すことが出来ないばかりか、独歩もできないため、日常生活をおくるにあたって必要不可欠な食事、入浴、排便等も、常に他人の介護を必要とする状態であることが認められる。そして一旦障害を受けた脳細胞が回復することも再生することもないことは公知の事実に属するものということができ、事故後九年にも達しようとするリハビリテーションを経ても、猶前示のような状態であることに鑑みれば、同原告が未だ若年であることを考慮に入れても生涯常時他人の介護を要する状態は継続するものと推認される。

五原告らの損害

1  原告英秀

(一)  逸失利益 三三一六万一二五四円

前記認定によると、原告英秀の労働能力は、その全てが喪失したと認められるから、原告主張の賃金センサスによる産業規模計全労働者の一八歳の平均給与年額一六九万四二〇〇円、九歳時における就労可能年期間を一八歳から六七歳までとしたホフマン係数19.5734を基に同原告の逸失利益を算出すると、三三一六万一二五四円となる。

26.8516−7.2782=19.5734

1,694,200×19.5734=33,161,254

(二)  介護費用 四一一二万六二五六円

前記認定のとおり、原告英秀は、生涯常時他人の介護が必要であるところ、その介護費用は、原告英秀の状態に照らすと、月額一二万円が相当である。そして、原告主張の生命表によると、九歳男子の平均余命は六五年であるから、これに対応するホフマン係数28.5599を基にその現価を求めると、四一一二万六二五六円となる。

12×12×28.5599=41,126,256

(三)  慰謝料 五〇〇万円

原告英秀に生じた後遺症の程度等記録にあらわれた諸事情を勘案すると、五〇〇万円が相当である。

2  原告誠虎及び原告崔

(一)  慰謝料 各五〇〇万円

原告英秀がわずか四歳で本件手術により前記のような後遺症をうけたこと等の諸事情を勘案すると、その慰謝料は各自五〇〇万円が相当である。

(二)  弁護士費用 各二〇〇万円

弁論の全趣旨によると、弁護士費用は、原告誠虎及び同崔が負担するものと認められるところ、本件訴訟の内容、認容額及び不法行為後の期間等を勘案すると、右原告両名につき、各自二〇〇万円を相当な損害と認める。

六結論

以上の事実によれば、原告英秀の請求は、金七九二八万七五一〇円及び不法行為発生の日である昭和五七年六月一五日以降支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、原告誠虎及び同崔の請求は理由あるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉田宏 裁判官三宅俊一郎 裁判官浅見健次郎)

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